絵と私

   筆は動き、キャンバスの表面は色彩の痕跡に徐々に覆われてゆく。筆致は筆致を呼び、ある変容が私を巻き込んでゆく。そこに身体の動きも映し出される。
  きのう完成した絵を眺めていた。同じ絵なのに、何故か今日のほうがよく見える。曇りがちの光が良いのか、いや、ただ一晩寝たらそう思えてきただけではないのか? いろいろと考えが浮かぶ。去年描いた別の絵をながめてみる。仕上がった直後は違和感があった左隅の色を、いまは自然にすんなり見ることが出来る。
  絵を描いている間、それは絶えず変化していた。完成すると、絵を見る私自身が変化させられた。いうなれば、描いている私は、目を通して、絵の中へ肉体の移動を試みているようなものであった。そして鑑賞している私、観手の私は、そこに私固有のvérité - 真実 −、自分を浄化してくれる何かを見出そうとしていた。
  生きている以上、精神と肉体はたゆまなく揺れ動き続ける。絵を描いている私は、その動きをまるで扱いづらい家畜を誘導するかのように、筆でキャンバスへと誘う。一方、完成した絵は動きようのない塊だ。身体の動きが反映されたその塊を見ることによって、良かれ悪しかれ私の心は動かされる。絵と私の関係においては、客体と主体が交錯、融合し、両者はもはや切り離しがたい。遂に「わたし」は無になり、「わたし」の全存在は絵の中に息づいている。

2005年3月          

小川佳夫

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