作品についての考え

 私は、わたしのなかの「記憶の底の光景」、を画布に写したいと考えます。 それは目に見える 世界だけではなく、五感に訴えてきた全ての「イメージ」(例えば、匂い、温度、湿度、音、肌触り、・・・・等)を指します。また直接自らの手で描く、ということが私にとって重要で、その行為は、私自身の「生」を表現することになります。
 私は「偶然性」を大事にしながら絵を描きます。 偶然に引き出された色、形には、意識外から出てくるものがあり、意外性に富んでいるからです。 その色、形に応えて私は描き加える。 新たな色、形が現れ続ける。こうして、ジャズセッションのような画布と私との対峙によって、絵が発芽してゆきます。 絵が変化するのに任せて、理想のイメージを探り、納得するまで筆を動か します。 それは色、形、物質が、私の視覚に於いて、お互いに響き合う頂点を探るという行為です。 音楽家が彼の聴覚を通して天上の音を奏でてゆくように、料理家が彼の味覚を通して理想の味に到達してゆくように、画布の上に新しい「光景」を表現したいと考えます。

 絵画という形式は矩形の中だけで表現され、作品は全て、事柄の断片ということになります。 したがって、それらは断片ゆえに矩形の外側への広がり、余韻を感じさせる可能性を持っています。

 私にとって絵を描くということは、そこに現れた色と形を通して、「私」という絶えず揺れ動く実体を、手探りしてゆくということです。 そして、絵は現実であり、まさに実体です。 この世界にほんのひとときしか関与できない私自身の生を作品にストレートに投影させたいと考えます。

 私は描く道具になりたいと思っています。    

              2003年 11月 パリにて
小川 佳夫  

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